原発事故被災者手記
馨(けい)の放射戦記

4人の子供と母親の原発事故との戦いの記録

2012/04/25

12. 今まで生かされてきたという「気付き」

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私達人間が「生きる」ために大切なことを、現代は見失っていると日々痛感します。

なんとなくは解っているかもしれませんが、特にそれをよく考えたりもしないまま、日々過ぎていきます。父や母からも、特別そんなことも強く言われずに育ってきました。でも何故か親達は「お役所なんてそんなもんだ」とか「本当はこうなんだ」とか、ネットも使わないのに私達なんかより知っていたりすることが結構あったりして、でもだからと言って親達はそれに対して特別強く訴えることもありませんでした。私は「どうしてなんだろう、何でそう思ってて言わないでいるんだろう」と少し思ったぐらいで、結局親達と同じ行動をとってきたというか、どこか暗黙の了解みたいなところがあった気がします。

昔から比べたら、今はたくさんの物や情報が溢れすぎていて、知らない間に不必要になっている物事が増えてきていると思いませんか?

私自身もそれにどっぷり浸かって、何も考えずに生活していた人間でした。

だから当然子どもにも、同じような環境での生活を与えてきてしまいました。

毎日の忙しさに流され、やらなくちゃいけないことをしているうちに、時間だけがどんどん過ぎていきました。

今こうして原発事故が起こり、避難という選択をするまでに、私はたくさんの情報を目にしてきました。今も現在進行形ですが、あの3月11日から、私の考え方とか視点が、少しずつ変わっていったような気がします。それは、本当にいつもの当たり前のことをしていた中で、ちょっとのタイミングとか、ふとしたきっかけや出会いがあったりしながら気付いていったことなので、それは誰にでも起こりうることなのですが、立ち止まって考えたり、悩んだりしなかったら、おそらく右から左に通過していってしまうかもしれません。

「おかしい」と言う疑問を少しでも抱いたことを、少し掘り起こしてみたりすると、何か大事なものに気付くかもしれないのに、それを諦めてしまうのは、とてももったいないことかもし れません。

でも、そんなに器用ではないし、自分のことでいっぱいで、面倒なことは出来る限り避けたいという気持ちにもなります。

そうなるのは、あまりにも便利で贅沢すぎる環境がそうさせている原因かもしれません。 でもそれは、子どもでは容易に気付くことはなくて、大人がそういう世の中を作り上げてきたということを認識し、大人が気付いていかなければいけない、これから先、生きていく上での重要な課題だと思います。

それを知り、考え出すと、本当に頭が痛い事ばかりです。前述通り、避けて通り過ぎたいことだらけです。私達国民が知らないことがこんなにもたくさんあって、当然のようにまかり通っているんですから。

でもそれをもし解っていたとしても、世間にはなかなか伝わらず、尚且つ一般人には受け入れにくいものでもあります。私達が選んできた政治家達と言っていいのか解りませんが、物事を決める人達が間違ったことをしていたとしても、私達国民は泣き寝入りするしかないような組織が出来上がっています。

ITが発達しているせいか、まとまる話も混乱し延長戦になりがちで、一般人同士の信頼関係を築くのも結構大変だったりします。

しかしながらネット上はデマだと言う人間がいますが、そんなデマばかりではありません。貴重な情報もあるし、意識しあうもの同士繋がるツールはいっぱいあります。

肝心な大事なことが表面上に出てこないし、出さないからこそ混乱は起きるんです。

専門的な問題に対して勉強している人達自体が混乱して、危険視する本も大丈夫と言う本も出ているのですから、意味がよくわからない私達一般人はどっちを信じていいのかなんて到底解るわけないんです。だから誰も信用なんか出来ない、そして、自分の都合いい情報だけを入れてしまうようになるのです。

福島県民はもちろん誰だって生活がかかっているんだし、もうそんなことばかりに付き合っていられないから、「放射能」という言葉だって言ってられなくなりますよ。

これだけの騒ぎになっていても原発を動かそうとする神経は、未だに福島県民にも国民にも寄り添ってなどいません。経済を動かすために目の前のことだけしか見ていない、上っ面の政策しかしていません。福島県民は殆どの人がそう思っていると思います。

放射線に関することで「大丈夫派」「大丈夫じゃない派」のコメントやブログを見ると、専門家同士も揚げ足とりや粗探ししてるみたいで、本当に残念な、というか情けない気持ちになっていました。

極論を持ち出せばどうしても反発が起こる、意見が全く違うわけじゃないんだけど何でこんなに噛み合わないのかと、どこでどう合わなくなっているのかを知りたくて探しているんですが、誹謗中傷的な内容ばかりで気が滅入ります。

「飲んでも大丈夫」とか「絶対入れてはいけない」とか、その一部分だけを取り上げてつっこんで、わざわざ騒ぎを起こしてるようにしかみえませんでした。

出来る限り安心したいから、安心する話を聴く姿勢になる、もし家が自営業だったり、両親が具合悪かったり、何らかの理由で福島に留まるほかなかったら、もしかしたら私も安心したくてそっちの話を信じてしまうかもしれません。

反対に危険だと思えばそっちの話に耳を傾ける姿勢になります。

それは、知らないうちに無意識にとっている行動だと思います。

私はとにかく出来る限り避難したくなかった方だったので、あまり煽り的なのは避けて冷静になろうとしていましたが、ここまでくるともう限界と言うか、やっぱりまずは避難しなくちゃいけない、もし将来なんでもなくたって解らないことばかりだからこそ、考えることをやめずに、アクション起こさなきゃいかんと思ったからこそ、やっと重い腰を上げました。

本当は福島がいいんですよ。子ども達もそういってますし、そんなの誰がなんと言おうと当然なんです。その気持ちがあればいつでも福島に帰れると思っています。避難の決断はそれほど思い切りがないとなかなか出来ることではないんです。

今回の原発事故に限ってではなく、今までの過程を振り返れば、事故前から知らず知らずのうちに海外での核実験やらなにやらで汚染された場所に住んでいたんだということも本を読んで解りました。あまり気にしたくはありませんが、だからこそ余計に今回の原発事故だけのせいにもできないし、したくないと言う狙いがあるんでしょう。

核実験が原因だなんてことは全く私達には言わずに、乳ガンが増えたから検診を受けましょうなんて、「ピンクリボン運動」というのを何年前からか盛んにやってましたが、ご存知の方は多いでしょう。そのときの私も何の疑問も感じていませんでした。

若かったのもありますが、無知とはそういうものです。

テレビやPCやゲーム機から出る電磁波、もうどこにでもあります。それをカバーする商品が出てきたりしています。

ワクチンも然りです。予防注射はやらなくちゃいけないみたいな雰囲気ですが、昔はこんなの無かったのにどうしてだろうと殆どの人は原因をちっとも考えずにワクチンを勧められるまま打っていますよね。

勧めるのも解らなくもありません。伝染病が蔓延してはもちろん困りますが、少しの危険があってもやっちゃうというところはこの原発ともよく似ている気がします。

こういうのを「マッチポンプ」と言って、自分で火を起こして自分で消しにいくという、とにかく経済を回すための仕組みが私達国民の知らない間に作り上げられてきました。

将来、「放射性物質が取り除かれますよ」とか「この治療をすればガンが消せますよ」という薬が販売され、国民がまた安心してしまうといった流れになることも、私達がうまくコントロールされ、生かされているんだということを、一人一人がもっと知るべきだと思います。

私自身は医療に携わる人達を尊敬します。人間の進歩は計り知れません。しかしどこかから狂ってきているこの環境に気付いている人は、何らかの形で行動に移しているでしょう。

新しい病気を増やし、それを治す薬を作る。この対策を私達は納得するしかないと思いますか?人の命を簡単に考えすぎてはいませんか?

こんなにたくさん便利になって医学が発達していても、病気は増える一方なのはどうしてなのか、本当は、便利になり発達しすぎたから、人間の身体が正直に反応し訴え叫んでいるのだといったほうが、合っているかもしれません。

少子高齢化になり、どうも「質」までも低下してきたといってもおかしくない理由はなにか、たくさん有害なものがあるのはみんなモヤッとした感じで解っているかもしれませんが、さらに放射性物質が拡散したことで、自然にもともとある放射線と同等に扱い、少しぐらいなら大丈夫なんだという全く根拠がわからない発言をする輩が増えてきているのも、その当人が現代病に冒されてしまっているのかと思うほどです。

それらに見て見ぬ振りをする、実は私達一人一人がそのマッチポンプを作り上げてきた張本人だと思いました。それに気付いたからこそ、「意識」し「動く」ということが私達には本当に重要な事なのです。

「少しなら大丈夫」と思って毎日生活していると、それはもう「少し」ではなくだんだん「多く」なっていくのです。それに伴って私達の身体が反応し、泣き始めているのです。

アトピー性皮膚炎や花粉症や、今までに無い症状が増加して、むやみにたくさんの病名が増えていることだって、なんかおかしいぞと想像し、考えなくてはいけません。

「予防医学」もそれがあったからこそ話題になりました。「健康」に対する意識もだからこそ増えています。今の土壌や野菜に栄養が無いと、サプリメントが普及してきたことも仕方ないことかもしれませんがそうやって経済が成り立ちうまくまわっています。そう言いながら私自身も血圧が高いので、いろいろ飲んでいたりしてますが、やっぱり今「それに頼るしかない」というのは、福島から避難したくてもできない人達の気持ちと同じなんだろうと思います。

今はそれに気付いている人達が頑張って声をあげています。当事者でもないのに何かを犠牲にして動いている人もいます。「それはそいつの勝手だ、好きでやっているんだから」と言う人もいるかもしれませんが、そんな事を言う人ほど誰かがいないと生きていけない人で、そういう人が増えているのもこの現代社会が作り上げてしまった人間だと思い知るべきです。

動いてくれる人がいたから、町が、市が、県が、もしかしたら国も動く事だってあるかもしれない。

経済がうまく回っているのに、皆楽しく平和に生活しているのに、そこに水を差すと思われてしまうのかもしれませんが、このままではこの国がやばい状況になることは、いろんなところからいろんな人がいろんなカタチで訴え始めています。

芸能人も、映画の中の台詞も、テレビの中や歌の歌詞でも、そういう「サイン」を送っています。

あなたは気付いていますか?

一人一人が見つけられていたとしたら、本当に嬉しいことです。

「知らなかった」「人任せ」では、もう済まされないのです。

これからの世代の人達にはもう謝るしかありませんが、これからが本当に大変です。

姿勢を変え、考え、気付くことを、大人が責任を持ってしてください。

子ども達はそれをしっかり見ています。

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